ダダーブ難民キャンプは、1991年に勃発したソマリア内戦から逃れてくる難民を受け入れるため、1992年ケニアのソマリア国境付近の地域に設立されました。 難民保護の任務を負う国連機関UNHCRの指揮のもと医療や教育、食糧援助など各種サービスを提供する20弱のNGOが活動しています。通称「アフリカの角飢饉」とも呼ばれる2011年のソマリアでの飢饉以降、 難民の数は増加し続けており、設立から20年が経過した現在、難民の人口は約45万人にのぼり今や世界最大の難民キャンプとなっています。
ケニア東部に位置するダダーブは乾燥した土地柄で、雨期を除くと雨はほとんど降らず、日光がかんかんと照りつける地域です。7,8月は昼の最高気温が30℃近くにもなります。その一方夜は20℃近くまで冷え込むため、長袖の服や掛布団などの防寒具が必要です。 土壌は砂地で草木も生育していますが、さほど背丈は大きくなく葉も多くはないです。場所が少し変わると、それに伴い砂質も大きく変化します。例えば、ダダーブやイフォ(以下の項目 ダダーブ難民キャンプの構造 参照), ダガハリの砂が比較的重いのに対し、ハガデラ, イフォ-2ではかなり軽い砂質の砂が見られます。 特にイフォ-2の砂は相当軽く、レンガを造るのも難しいようです。 ダダーブでは様々な動物が一つの地域に生息しており、カ、ハエ、コオロギ、アリといった日本でもよく見る昆虫から、カエル、アリジゴク、トカゲ、サソリ、ヤギ、ロバ、ヒツジ、ラクダ、ウシ、小鳥、コウノトリ…などをしばしば見ることができます。ちなみに夜出歩いていると、たまにサソリに足を刺されてしばらく動けなくなることもあります。
ダダーブに元々住んでいる人々はソマリ族です。彼らはソマリア全域、ケニア北東部(北東州とその周辺)、エチオピア東部のオガデン地方、ジブチ共和国を居住地域とします。ソマリ族は、避難してきているソマリア難民とおおよそ同じ民族です。ソマリ族は氏族社会であり、氏族の数は5,6程度で地域毎に分かれています。
古くからケニアとソマリアの国境をまたいだ交流が盛んだったため、ケニア人のソマリ族でもソマリア人難民の知り合いはたくさんいるケースが多いです。また、新しい難民は親戚を頼ってくることが多く、共同生活を行い生活に慣れるまで金銭や食料を支援してもらうことが多いようです。
宗教はイスラム教で、人もよりますが、一日5回の礼拝や酒を飲まない、豚を食べない、女性は肌を見せてはいけない等の教えを忠実に守りながら生活しています。戒律上、男性は女性に触ってはいけませんが、現在ではこの原則の捉え方は人によって異なり、西洋化の影響で自分から進んで握手してくる人がいる一方で、
ブルカ(目以外の頭部を隠す布)を被っている女性もいます。イスラム暦第9月をラマダーン(最近の暦では7,8月か8,9月にあたるよう。)と言い、ムスリムは日の出ている間、断食をします。ラマダーンの間は仕事がない限り、昼に寝て夕方頃起きます。
ラマダーン中は午後に明らかに人々の元気がなくなっていました。
ダダーブ難民キャンプは、主にイフォ、ハガデラ、ダガハリの3つのキャンプから構成されています。ダダーブは、難民キャンプを受け入れているケニアの村落の名前であり、厳密な意味では難民キャンプではなく、3つの難民キャンプの総体の呼称として用いられています。
3つの難民キャンプの中では、ハガデラが一番古く、区画整理が不十分です。そのため各家庭に割り当てられたスペースや道路が狭く混雑しています。また最も人口が多いのはダガハリとなっています。
近年、人口の急増に対応するため新しいキャンプ(イフォ-2、など)が建設されています。難民の内訳は95%程度がソマリア人で、その他に少数の各民族が避難しています(主な例としてはスーダン、エチオピア(ガンベラ地方、オガデン地方)、コンゴ、ブルンジ、ウガンダなど)。
キャンプはいくつかのsectionによって構成されており、sectionはいくつかのblockによって構成されています(日本だと何丁目何番地といったイメージ)。blockは、1つの水道の蛇口から水を供給できる範囲、ということで設定されています。基本的にblockやsectionは長方形型に作られており、
1blockはおよそ400世帯から構成されているようです(イフォのblock数は30程度、人口10万人・世帯数約12,000(1世帯8人)。12,000世帯/30block=400世帯/1block)。ちなみに、イフォのBlock-10はブルンジやエチオピアから来たソマリア人以外の難民が集中的に住むようUNHCR等に指定されています。
こうした区分設定や区画整理はUNHCRとその他NGO(主にLWF)によりなされていますが、キャンプ成立当初はこうした区分や区画整理ができていなかったため、道はくねくね曲がり細いため車が通れない、各家庭の敷地が狭い、などの問題が生じている地区もあります。一番古いキャンプであるハガデラはこれが顕著で、
道が細く曲がっていると車が通れないため支援の効率性にも大きな影響を与えるようです。
難民キャンプはこのように構成されており、難民は与えられた土地の中に家を建てて生活しています。
ブシア県はケニア西部、ウガンダとの国境沿いに位置し、面積は673.6㎢と東京都のおよそ三分の一にあたる大きさで、タウンシップ、マタヨス, ナンバレ, ブツラの四つの大きな町から成り立っています。
日本のような四季はなく、例年、雨季が3月から5月及び8月末から10月にかけて訪れる一方、雨季以外は非常に乾燥した気候となっています。赤道直下で地表の露出が多いため気温の日較差が大きく、日中非常に気温が上がる一方、夜はひんやりと涼しくなります。また、ブシア県ではマラリアが非常に発生しやすいため、蚊帳を使ったり、予防薬を服用したりする等の対策が必要になります。
こうした気候のもとで、ブシアでは二毛作が行われています。長期の雨期を利用してモロコシ類やさつまいも、ダイズを、短い雨期を利用して上記穀物に加えゴマやひまわりを栽培しています。その他の商業作物としてはサトウキビの生産が県全体で行われおり、ナンバレでは綿花生産も盛んです。ブツラとナンバレは標準的な水はけのよさを有する肥沃な土壌に満ち、比較的平坦な土地です。
一方、マヨタスは丘の地域があり起伏に富む地形となっています。こうした地域毎の栽培条件の差異が栽培されている農作物に反映されています。人々は収穫した農作物を使ったウガリを主食に、魚、鶏、牛などを食べています。
農業用水はブシア県南部に位置するビクトリア湖へとつながる河川から得ており、これまでは必要量を確保できていました。しかし、人口増加による生活用水の需要増加から水の供給に制限がかかるようになり、所得の低さにより水への満足なアクセスを得られていない人も多いのが現状です。
ブシア県には多数派を占めるキクユ族やルオ族に加え、ルイヤ族や、アテソ族、キカンバ族、ソマリ族等数多くの部族が暮らしています。大多数の人々がキリスト教を、一部の人々がイスラム教を信仰しており、信仰心が厚い人が多く、聖典の教えに従って日々生活を送っています。人口の多くを占めるキリスト教徒が日曜日には教会に行くため、日曜日の午前中は閉まっている商店が多いです。
2010年現在、人口はおよそ35万人で、ピラミッド型の人口構造を示します。また、男女比は0.86となっております。このうち妊娠が可能とされる15歳から49歳までの年齢の女性人口はおよそ55000人で、人口の40%強を占めます。(1999年データ)一人の女性が生涯に何人の子どもを産むかを示す数値である合計特殊出生率は6.1人、また女性が第一子を生む平均年齢は19歳となっています。
そのため人口は年々自然増加し、増加率は現在年3.4%となっており、家族計画の推進が求められています。
